俺節について

 先日無事に全公演を終えた舞台「俺節」について、前置きなしに見終わってから思ったことなどをつらつらと~。

 

 北野先生、戌亥社長、テレサの台詞「客は歌い手の中に自分を感じるんだ」「板の上で見世物になる人間には隙間が必要だ」「コージは、コージと私でコージなの」これって全部つながっているんだな、と思いました。

 テレサと気持ちを通わせる前のコージは、あがり症ゆえに歌おうとしても途中で詰まってしまう。それでも気持ちを絞り出すように歌う声は心を震わせた。テレサという「手に入らない存在」を強く求めているからこそ。でも、テレサと一緒にいられるようになって、人前で普通に歌えるようになったコージの歌はどこかドライな感じだった。心みたいなものが感じられなくて「うまいけど、こなしているだけ」みたいな。オキナワを失い、テレサを失い、暗い部屋で歌った引っ越しの歌は「久しぶりに、コージが『歌って』いる」って思わされる。失ってしまったものを強く追い求めているからだ。ブーイングを受けながらアイドルの前座をこなして、帰ろうとしたコージの前にテレサが現れた。その途端にコージの歌に魂がこもる。故郷へと帰るテレサに送る歌は、今までのどの曲よりも強い力を持って、さっきまでブーイングしていたアイドルのファンまで黙らせた。曲の最後、テレサは飛行機に乗るため会場を去ってしまう。いなくなるテレサを求めて、求めて、コージは叫ぶように最後のフレーズを絞り出す。

 隙間だらけのコージは、何かを「求めて」歌うことで他人の心を揺さぶるんだ、と思った。何もかも満たされていてはそういう風に歌えない。相棒と恋人と、楽しく暮らしているだけでは客の中に「自分」を宿せない。コージとテレサは二人でひとつ。例え気持ちが通じ合っていても、その半身を失ったことでこれからきっと人の心に「自分」を宿していけるんじゃないか。コージの歌は本当の意味で「武器」になったんだな。って、そう思います。

 

 話題は変わるけど、テレサとコージのことを、色んな人が思わず応援してしまうの、わかるなあって思った。なんだろうなあ、いじらしいからかな…。そもそも純粋な悪人っていうキャラが少なくて、みんな愛おしいからな、そういう人達だから頑張ってる人がいると応援しちゃうのかな…。一幕最後の民衆の歌のような命くれないのシーン、ハガレンの「誰も俺たち兄弟に諦めろって言わなかったじゃないか」を思い出した。

 

 コージの気持ちの動きによる歌い分けが本当に見事で、安田章大という人間がこの舞台に立てた、この人を演じられたことが、私みたいなファンにとっては物凄い財産だなって思ってます。何度も何度も、悲しみじゃなくて気持ちが昂ぶったり、心があったかくなったりする涙を流した。やすくんだけじゃなくて、カンパニー全員を大好きになった。ほんとにほんとに、言葉では上手く言えないですけど…。できたらまた皆さんのお芝居を観たい。そう本気で思うような最高の舞台でした!!

 

 出演者の皆様、スタッフ・関係者の皆様、本当にお疲れ様でした。