気持ちの整理

 今日ふと、私がすばるや亮ちゃんに抱いているものは「好き嫌い」の類ではなく「愛着」なのかな、という考えが浮かんできました。何年も親しんだもの、好きなものの一部であったもの。好きでいるor嫌いになった、みたいな部分を超えた強い愛着。

 ずっとそこにあって、変わらないと思っていた。故郷の好きな道、錆びて蔦の巻き付いた標識、知らない人の藁葺の家。何年かぶりに通ったら舗装されて新築の家に変わっていた。変わってしまったものを見る私の中に「変わらないでいてほしかった」という思いがどうしても存在する。便利さとか、何かをやりたい誰かとか、それをちゃんとわかっていても消えはしない。消してはやらない。せめて私だけは、私の中にある「寂しい」をちゃんと認めてやりたい。

 私が一番長く見つめ続けたのは「七人」の姿と歌と楽器と話し声だった。見慣れすぎて網膜にも鼓膜にも貼りついている。それを剥がすのはめちゃめちゃ痛い。剥がしたくないなあ。剥がさなくてもいいか。

 すばるが、亮ちゃんが、他の人と音楽をやっている姿を、その音楽を、私はまだきちんと受け止められない。嫉妬だ。一緒に音楽をやってる人が羨ましい。たぶん本人より、隣に後ろにいる人を見るのがつらい。ほんの何年か前までそこにいたのは、という気持ちを持たずに見ることができない。だから今は何も見ないでおこう。現場のレポを読んで「かわいい」「おもしろい」だけをインスタントに味わおう。誠実じゃないけど、今はこれがせいいっぱい。

 言ってしまえば、別に二人の音楽に触れる義務なんかない。「そうしなければいけない」とも思ってない。ただ「あ、聞けそう」って思ったとき、それを実行できるようにはしておきたい。見慣れた、親しんだ、離れがたい。そんな形容から少しだけ別のものを見つけられたとき、誰かと音楽をやる二人の声を聞けたら。

 

 そういう日が来るかどうかは、まだよくわからないけども。

おひさしぶり、0分ぶり!

数時間前→

http://kaneda-oo.hatenablog.com/entry/2019/09/30/220105

 

https://www.ryonishikido.com/

 

 日付変わった瞬間に再会できたけど、めちゃくちゃ笑ったけど、TLは大喜利状態になったけど、明日起きたときやもっと後に揺り戻しがきそうでコワコワー!!!!!!

 笑いながらやっぱり寂しくて、泣きながらめちゃくちゃ笑ってて、ジェットコースターに乗ってたつもりが私自身いつの間にかジェットコースターになってたみたいな感じだ。伝わらねー!

 関ジャニ∞は止まれないって思ったけどら止まれないんだなー、錦戸亮も…なんなんでしょうねー、荒波の中を延々泳いでめちゃくちゃな情報量をぶつけてくるの君ら好きよねほんと!!

 まだ涙は出るよ、胃も痛いよ、眠れないし熱も下がらないよ、なんの整理もついてないし、どうしようもない気持ちは渦巻くよ。でも「あー、錦戸亮ってこうだよね」をすぐに感じられたのは、なんか、よかったな。いやでも爆速すぎてまだ笑ってる。超高速退所再始動。

 負けないし、応援してるし、好きだし恨むし最高の男だなと思ってるよ!!!! がんばろうな!!!!!

さようならの先に

はじめに:

ポエムくらい出るやろ!!!!錦戸亮がジャニーズやめんねんで!!!!!!!!

 

 

 

 

 錦戸亮ジャニーズ事務所を去る。五年前の、いや十年前の私にそれを伝えることができたとしたら「そんなはずない」って言うだろうか、それとも「いつかそうなると思ってた」って言うだろうか。

 なんというか亮ちゃんって「ジャニーズ辞めそうで辞めないところがかっこいい」みたいなとこあったじゃないですか。いやはっきり言って辞めてもかっこ悪くなることはないんですけども…。その「辞めそうで」の部分を失礼と思われる方もいるとは思うんですが、まあそこは私の感覚なので解釈違いなら申し訳。見えそうで見えない、とかに魅力感じる人はそこそこいるじゃないですか。辞めそうで辞めないフェチもきっといると思うんですよね…。

 いやー、でも、辞めそうで辞めないっぽいひとに辞めてほしくなかったなー! って今でも思ってるよ! 悲しいし寂しいし悔しいわ。辞めたいひとを無理やりつなぎとめておきたいって意味じゃないけど、自担が満身創痍のまま突っ走ったツアーでも、亮ちゃんをつなぎとめておくことはできなかったんだなー! 悔しいな! 悔しくて、そこだけは1%だけ許せない。残りの99%は大好きという気持ちで埋まってる。

 正直すばるのことも同じように1%だけ許せてない。彼が本格的に始動したことには心から喜びを感じるのに、1%が邪魔をして映像も歌も摂取することができない。亮ちゃんのことも同じように見れなくなるのかな? それはまだわからない。錦戸亮がジャニーズ辞めるの見るのは生まれて初めてなので…。これからちょっとずつわかっていくんだろうな。こわいなー! こわいせいなのか発表聞いてからずっと熱があるよ。いやこれは普通に病院行きますね…。

 他のメンバーの話聞いてマイク下ろしたままで片眉上げて笑う姿も、顎に手を当ててちょっと困ったような顔で笑う姿も、年上のメンバーに絡んでくときの悪ガキっぽい笑顔も、って笑顔ばっか思い出しとるやないかーい!! 1%とはいえ許せない部分があるっつってたのに、マッッジで笑顔ばっか浮かぶ!! いやだって錦戸亮の笑顔ね、この世の愛らしさを全部集めて溶かしてかためましたみたいなシロモノなので…愛らしさという劇物なので…。あーーーでも、その笑顔がファンにっていうか、どっちかっつったらメンバーにばっか向きがちだったの、本当に…本当にさ~!!??

 やめるのやめない? とは言えないよ、言うけどさ…いや言うよ、本当にやめるのやめてほしいわけではないんだけど、いややめるのやめてほし……ワーッ!!! わけわかんなくなってきた!!!!!!! 好きだから辞めてほしくないけど、好きだから無理して続けてほしくもないんだよ!!! 難しいな!!!! その「好きだから」を免罪符に言いたいことなんでも言っていいってのもなんか違う!(これは誰かへの押しつけではなく己の信念として) 違うけど言いたい…アアー!! 信念、秒で崩壊。

 亮ちゃんがいた関ジャニ∞が、すばるのいた関ジャニ∞が、そしてリアルタイムで見ていたわけではないけど博貴のいた関ジャニ∞が、今でも好きなんだよー。これから変わっていく関ジャニ∞のこともきっと私は大好きだけど、もう過去でしかないその記憶も捨てられない。時々捨てなさい忘れなさいって言うオタもいる、いるけど絶対捨ててやんねーよ!!! 滑稽に見えようが抱えてたいんだよ~、だからお願い関わらないで~、私のことはほっといて~!

 去年は渋谷すばるを音楽に寝取られたわけですが、錦戸亮は何に寝取られたのかな、何を見せてくれるのかな、私はその見せてくれるものを楽しめるのかな。わかんないや。錦戸亮がジャニーズ辞めるの見るの生まれて初めてなので…(ここがサビ)。

 わかんないことだらけだ。亮ちゃん本人もそうなのかな。それともがっつりした道を作ってあるのかな。なんもかんもわかんね~な、想像でしかない。わかんねえけど、とにかくこれからも生きなくては。生きてたらなんとかなるわ。泣くも笑うも生きてこそだ。あー最近なんでもこの結論になっちゃう!

 

 たぶん未来はめちゃくちゃこわくてすごく楽しいよ! めちゃくちゃが勝つか、すごくが勝つか。わかんないけど、会いたい人に会うために私は今日も明日も働くよ。推したいときに推しても後悔や悲しみは消えないし、推しを増やしてリスク分散したってリスクが一気に押し寄せることだってある。そんなオタクライフハックは有事の際にはマッッッジで役に立たない。でも、行くしかないし、生きるしかないのだ。

 錦戸亮という愛らしくかっこいい存在を、好きだと思ったことに後悔はない。だから本人にも悔いがなければいいな。楽しい思い出がたくさんだといいな。私は錦戸亮ではないので、錦戸亮の気持ちはわからない。でも、たくさんの瞬間、声がカスカスになるくらい笑い転げていた姿や、楽器の音と音が交わった瞬間に弾けた笑顔は「本当」だったな。それが、なんというか、支えだな~。

 

 あー!!! でもほんと最後に「関ジャニ∞錦戸亮」に会いたかったな!! 会いたかった! それはそう!! 会いたい! 二時間前でも諦められない!!! 諦めが悪すぎる!!!!

 明るく別れた方がいい、みたいなこと言ってた人もいるけど私にはやっぱ無理だな。寂しくて悲しくて悔しくてちょっとだけ憎いよ。愛憎~。メソメソ泣いて少ししたらツアーの当落がくるよ。めまぐるしい。この勢いのままゴロゴロ転がったら、どこにたどり着くんだろう。わからないからこそ、ちゃんとその先が見たい。

 亮ちゃん、今までありがとう。私は亮ちゃんのこれからの活動をちゃんと見れるかどうかまだわからない。確証がない。だから今一回、ひと区切りでありがとうって言っておきます。ここから「これからもよろしく」になるかどうかはきっとこれから決まるでしょう。どうかこれからの人生が、成功と幸せと健康に満ちたものでありますように。なんでもできちゃう亮ちゃんが、行きたいところへ行けますように。ありがとう、そしていったん、さようなら。そして(もしかしたら)、これからもよろしく?

 

 

数時間後→

http://kaneda-oo.hatenablog.com/entry/2019/10/01/013535

 

crazy must go on

 まず最初に。私の感情は私のものであり、同じ気持ちの人を褒め称えたいわけでも、違う気持ちの人を責めたいわけでもありません。公式の動画や文面を見ての解釈も私だけのものであり、間違っているという指摘は意味がありません。私の文章を見て何か考えを変えてほしいとかでもありません。何かこの記事に対する批判があったとしても、たぶん考えを変えることはできません。

 

 ここ数ヶ月の間、私が見ているTwitterのタイムラインはいつもうっすらとした不安に包まれていました。以前、すばるの脱退をどこよりも最初に報じたのが週刊誌であること。そしてまた他の週刊誌が亮ちゃんの脱退を報じたこと。精神衛生のため、いちいち記事の内容に触れたりしない人を選んでフォローするようにしていました。でも「何が」「どう」とは明確に触れない漠然とした不安は漂っていた。

 十五祭という、関ジャニ∞15周年アニバーサリーツアー。各地で6人のメンバーを模した巨大なぬいぐるみが飾られ、その様々な衣装や組み合わせのパターンに歓声が上がっていた。オーラスで披露されたのは、脱退したメンバーを含む8人分のぬいぐるみ。披露された瞬間に3列目で悲鳴と嗚咽をあげてから、まだそんなに時間は経っていない。

 十五祭において、生の言葉ではなく事前収録の映像で行われた挨拶。最終三公演で追加された「蒼写真」という別れや旅立ち、思い出、祭の終わりを歌った曲。関ジャニ∞は「祭の終わりの寂しさ」を知っている人たちだと思った。祭が終わってしまう寂しさを、祭の途中に感じるタイプの人たちなのであろう、と。

 不安がなかったといえば嘘になる。核心に触れない不安は、やっぱりタイムラインに漂い続けていた。明るく楽しく終えたツアーのラスト、画面にうつされたのは「15→16 to be continued」の文字。このまま続いていくんだと思った。たくさんの不安に影響されて曇っていた心が、パッと一気に晴れるように安心した。

 一昨年には病気、去年は腰と背中の骨折に見舞われた自担もたくさん踊っていた。全力で走っていた。去年はできていなかったダンスを見て「踊ってる」と号泣した。これからも彼と関ジャニ∞の活動を、歌を、ダンスを見られるんだと思った。自担と亮ちゃんのユニット曲は、CMキャラクターをつとめているチョコモナカジャンボ・バニラモナカジャンボを模したマイクを用いて歌われた。二人の顔以上はあろうかという大きなマイク。

 生きてる間は生で聞けないと思っていた曲や、歌割りの変わって新しい魅力の出た曲。たくさん披露されるそれら。かわいい、楽しい、かっこいい。プラスな気持ちが爆発していた。単純な脳味噌を持っているので、楽しさを感じるとすぐに「これが永遠であれ」と思ってしまう。

 亮ちゃんは「永遠なんてないと牽制してもいい」って歌っていたけど、すばるが脱退したとき「永遠なんてない」と書いた。知ってしまったんだ。すばるのせいって言いたいんじゃなくて、あんまりにも綺麗な伏線回収すぎるなっていう気持ち。

 楽しいツアーが終わった1日半後の15時10分頃、ファンクラブ会員にメールが送信されました。大切なお知らせ。16時にメッセージが公開されます、17時にはメンバーの動画が公開されます。ああ…って思った。この死亡宣告システムええかげんにせえとも思う。仕事中に見てしまった人の45分ちょいの仕事の手につかなさよ。内心震えながら仕事を終わらせ、16時にスマホを開く。脱退、退所。ああ……って思った。信じてたし、信じたかったし、信じさせられてたよ。楽しい楽しいお祭りはずっと続くと思ってた。勝手にね! 勝手に信じて勝手に傷ついてるだけ。でも、あの楽しさはなぁ。信じちゃうよ、ごめんね。

 職場でジャニオタであることを公表しているので「これからテレビで色々やると思うんですけど、余計なこと言われたら鈍器を用いますので」とだけ言い残して退勤した。

 亮ちゃんからすばるに送られた「これからは僕が引っ張っていきます」というメール。嘘じゃなかったねと今でも思ってる。引っ張ってたよね。重かっただろうな。だから身軽になってもいい。いいけど、寂しいなー。10数年応援し続ける中に、亮ちゃんはずっといたから。ぴょこぴょこ上下するあの独特の歩き方で、どこに向かうのか。

 17時に公開された動画を見て、正直想像以上の感情迷子になってしまった。亮ちゃんを除く5人での動画。カラッと明るく、水とりぞうさん6万個置いたんかというテンションで伝えられる様々。どうにも空回り感が否めない。7分もあるのにほとんど頭に入ってこない。すばるの時は一緒に「納得いかない」「悲しい」を体験できたけど、今回の彼らはずっと先を歩いていた。実際の心情がどうであれ「もう僕たちは消化しましたよ」という姿勢を「見せようと」している。待って待って。はやい。慌てていると「そして11月から2回目の47都道府県ツアーをやります」という明るい告知が。待っっっって…? まだ売れていなかった時代の通称ドサ回りツアー。それをもう一度? オリンピックキャスターや27時間テレビが決まっている人、11月まで舞台が決まっている人もいるのに? オリンピックキャスターの人は去年の27時間テレビの時期にステージで倒れて裏で担架で運ばれてたのに?

 すばるの名前は出るのに亮ちゃんの名前のりょの字も出ない不自然さ。モヤモヤ。不完全燃焼。

 そして文面でも彼らの声でも自担の体のことが触れられる。踊る彼の姿に喜んでいた私に「いつまで活動を続けられるか」と、突きつけられる現実。サラッとね。あんなにサラッと箸休めみたいに書いてんじゃないよ…。「安田くんの体のこともありますしね」って言葉の後に47都道府県ツアーの発表って、国語のテストの作者の気持ちを考えなさい問題だったら絶対正解できる自信ない。

 アニバーサリーツアー終わりました! 10月末にはそのツアーのDVDリリースな! これからは5人でやってくで! ほんでまた47都道府県ツアーやるで! 怒濤か!? ランドセルから一気に大事なプリントいっぱい出してくるんじゃないよォ!!

 いやそもそも脱退報告の動画でツアー発表したグループ今まであるか!?wwwwwwwwwwwwwwww 草ぼうぼう。謎のグループ関ジャニ∞。変なの。変なグループ。この変なグループに亮ちゃんもいたんだよ。あー、変なの!

 47都道府県ツアー、行くよ。行くけど、その先がどうなるかがこわいなあ。楽しくて楽しくて「信じていいんだ」って思ったその続きがこれだから、信じることがこわくなっちゃったもんね。でも、別に信じなくても応援はできるんだなあ。

 「10年後の今日の日もこの場所で手をつなごう」と歌っていた8人は7人に、ファンに捧げた曲で「ずっと一緒」って何度も歌っていた7人は5人になってしまった。何事にも永遠がないのは知ってるけど、何を信じていいかもよくわからない。でも、半信半疑の私がついていくことは否定しないでいてくれるはずなので。

 願わくば、病気の影響で大好きなダイビングもできなくなってしまった自担が、これから先を健康に生きてほしい。眼鏡は外さなくていいよ。それよりも目と脳を守ってね。いつか会えなくなっても、長生きしてほしいです。たくさん救われてきたから、あなたも救われてほしいな。本人がやりたいことをやれるまでやってほしいというエゴ。煮詰めたエゴで溺れそう。

 どうか他のメンバーの健康のためにも、事務所はマジでツアーのサポート体制をよろしくお願いします…。セットとかなくてもいい。体ひとつでエンタメですってポーズでいいから。自担の「またバス移動やな!」の後の「大丈夫かな俺の体」っていう言葉ー!!!!! ウオー!!!!!! クラファンで腕のいい運転手と自家製のヘリorジェットを!!!!!!!

 

 はあ。信じてないよ。でも好きだよ。そんな姿勢だけど、応援させてください。はあーーこれ恋愛だったら絶対やめとけって言われるやつ! でも好きなんですよ…。こういうとき感情を隠しきれずにぎこちない表情してる横山裕が。絶対自分の感情出さずにプロの仕事をする村上信五が。頼りないほほえみ浮かべてる丸山隆平が。ファンの感覚を一番知ってて色々考えてくれてる大倉忠義が。自分の体の話題ふられてんのにカラカラとした声で笑いツッコミどころ作っちゃう安田章大が。

 歌もバンドもダンスもコントも、届けてくれる言葉も、好きだよ! 信じてないけど、好きだよ! これからもよろしく! crazy must go on 狂うことを続けなければいけない! 以上!

自担の髪型が変わったよ!?

 はじめに言っておくと、いやまあ別に前の髪型が嫌いだったわけではないんですよ!? 頭の手術跡が見えるようにとのこだわり、チンピラコーデが似合う強めなビジュアル、ええやん…と心酔してすらいた。まあ治安の悪さを醸し出すビジュアルではあったけど、かわいさが消えたとは思ってなかったし。*1でもね! 髪型変化のスパンがスパンスパンに速い人を自担に持つと、変化のない日々が続いたときめっちゃくちゃ物足りなくなるんですよ…。*2例え好きな髪型であっても変化を渇望するようになってしまう。変化があるからこそ「長く続かないであろうこの髪型を刹那的に愛しちゃえ」みたいな、無理くりエモを作り出して商売する人みたいな状態になってしまうわけ。

 だからもうねえ髪型が変わったと聞いた時には、頭の中に古のキターーーAAが浮かんだね。ぷかぷかと浮かんだ。かぷかぷわらったよ! やまなし。死ぬやつ。

 前の髪型は黒髪で面積広めのツーブロック、トップにボリューム出してる感じって言ったらいいのかな? 新しい髪型は赤髪にゆるめパーマかけて、トップの髪をおろしてる感じ。ぶっちゃけ髪用語わかんねえ調べたけどおしゃれぶれねえ。とにかく自担が最高なことしかわからねえ。とまらねえ~。

 まあ見た目がまず最高なんだけど、手術跡を見せる髪型っていうこだわりがわりと長めに継続した後での変化っていうのは、そこから少し先に進めたってことかな? っていう勝手な想像をして嬉しがってるところもある。精神の歩みを感じたね。恐ろしいことに全部妄想なんですけども。

 

 しかしもうねえ自担の髪型ひとつでころころ転がって奇声あげるのめちゃくちゃ楽しいわな~! 自担マジ宇宙抱いたわ! イェー! パッション。ツアー前にこれを放り込んでくる自担できる子。よーしよしよし! えらいこっちゃ。でもこの髪型がツアー開幕と同時に消え去ることは大いにありうる。だから今のうちに貪らなきゃ! 刹那的~! 一時的な享楽にふけるさま~! でも変わらない可能性もある。それはもう本当にありがとう、いい自担です。自分で箸を転がして「自担最高かよ…」できるの楽しすぎる。

 

 ワークアウトBGMを聞きテンションを上げエアロバイクを漕ぎながら、世界一好きな男の髪型についてのブログを書くとこのような文章になるというサンプルでした。

*1:※感じ方には個人差があります。

*2:※感じ方には個人差があります。

大好きなグループのメンバー脱退発表が私を外に連れ出した

 渋谷すばる関ジャニ∞を脱退。本人とメンバーの口からその事実が語られたのは4月15日のことです。その翌日、私は珍しく「観光」というものに出かけました。

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 あまり観光という習慣のない私が、たまたま両親と出かけることにしていた日。それが4月16日でした。関ジャニ∞のファンであることを隠していない私に母は「また今度にする?」と声をかけましたが「いや、行くよ」と答えました。まだ青森県には到達していなかった桜前線を遡るようにして、平泉へ向かいました。

 車中で聞いた関ジャニ∞の曲。そこには当たり前に渋谷の声がある。シンプルに悲しいなと思いました。しかし発表を聞いた時から私の涙腺は機能を失いかけていて、ここから三ヶ月の間、一度も涙を流すことができませんでした。

 中尊寺に向かう途中で、おみくじを引きました。

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 だってお!!!!!!!!!!!!! 正直何が大吉やねんというメンタルでした。八つ当たりでごめんな、おみくじ。

 

 そして4月の末、私は弘前におりました。

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 私は元々かなりの出不精で、観光に行こうという話にイエスの返事をする人間ではありませんでした。しかし4月15日以降、首を縦に振ってしまうようになったのです。なぜなのかは自分でもよくわかりませんでした。ただ、知らない場所に出かけて綺麗なものを見ると、何かを取り戻せるような気がしました。

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 7月14日から7月16日の朝にかけては、関ジャニ∞のコンサートのため北海道へと足をのばしました。これは元々行く予定だったものなので「何かを取り戻す」というようなぼんやりしたものではなく「新しい彼らを見届ける」という明確な意識を持って臨みました。

 北海道への遠征はフェリーを使っています。安価で寝ている間に移動できるという点が気に入っている移動手段です。しかも運がよければ朝日も見れる。しかし15日の朝は生憎の天気で、日の出時間に起きてはみたものの、灰色の空と海しか拝めませんでした。

 以前の記事にも書きましたが、コンサートを見終えた15日の夜、流れ星を見ました。

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 カメラの液晶の中をフッと流れたそれに、願い事を言う間などなく。それでも何か意味がある、きっと、そう思いたかった。

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 7月16日の朝日は少し腹立たしいくらいに綺麗でした。「金曜ロードショーの色だ」って思っちゃった。流れ星と朝日を見れたことに何か意味はあるのかな、あると思いたいな、生きていくためにはそういう思い込みも必要でしょ。そんなことを考えながら、フェリーを降りた足で仕事に向かった。

 

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 これは田舎館村の田んぼアート。このへんになってくると観光慣れし始めています。平泉の頃はまだ観光ビギナーだったのに。とりあえずトイレは行きたくなる前に行けの精神。

 これは9月の末に撮った写真なので、稲が青々としている時よりも絵柄が少し見づらくなっています。やはり見頃は7月中旬~8月中旬のよう。展望台から降りる階段には、田んぼアートの歴史などが展示されています。真田丸の年も見てみたかったなあ。

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 地上から見るとこんな感じ。絵柄を決めてパソコンで計算し、それを元に杭を打ち、紐を張り巡らせて田植えをするのだとか。

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 さっきのとは別の場所にも会場がありました。展望台から降りる階段に「大間の休日」なんてパロディポスターが貼ってあったり。ちなみに二つの会場はだいぶ離れているので、自家用車もしくはシャトルバスの利用をおすすめします。

 

 そして五所川原市立佞武多の館。

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 有料の展示室に入って驚く。思った以上に大きい。どのくらいかっていうと、

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 足下に人がいますよね。これと比べると、ええもう、えらいこっちゃです。見上げてると首が痛くなります。ぶっちゃけナメてました。申し訳ございませんでした。

 骨組みを作って紙を貼り、色つけをして…って手順はわかるけど規模がとんでもない。展示室には山車を囲むようにして通路があり、これまでの歴史、制作手順なんかも紹介されています。祭りの当日にはその通路が跳ね橋のように動き、更にはとんでもない高さの壁が開き、そして出陣していくのだそうです。思わず「秘密基地じゃん…」と口走ってしまいました。

 

 十和田湖

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 遊覧船に乗ってると、思わず遊歩道の人たちに手を振っちゃいますね。大きく振り返してくれて嬉しかった。

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 八甲田の地獄沼。まんじゅうふかしは油断してると足がめちゃくちゃ熱いところに当たる。

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 城ヶ倉大橋からの景色。

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 橋の上からズ~~~~~~ムしてここまで撮れるの中古12KのコンデジのわりにすごいねCanon SX610HS。この記事でも併用してるZenFone5は綺麗に撮れるけど時々色みがわざとらしくなるし、ズーム機能も限度がある。両方とも大事に使おう…(と書いたそばから片方落として片方ぶつけた)。

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 十和田の蔦沼はまだ紅葉が始まりかけだったので、手前の木々とせせらぎの方に惹かれました。いやでもこれ染まりきったらそうとう綺麗ですよね。リベンジしたい。

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 4月から今日まで、綺麗な景色をたくさん見て、仕事して、綺麗な景色をたくさん見て、仕事して…そうして暮らしてきました。寂しさ悲しさは消えていく。なんでもない素人の写真をパチパチと撮影して、デジカメの容量をパンパンにして。

 雑誌、テレビ、コンサート。どの場でも人数を数えてしまいました。6人、ああ、6人だ…って勝手に悲しくなって。消えていたはずのものが戻ってくる。知ってるんですよ、脱退したの。わかってるんですよ、戻ってこないの。なんですけど、探してしまっていた。それなのに、私は先日6人の関ジャニ∞に「しっくりくる」という感覚を覚えてしまいました。そのことに気づいて「まだ忘れたくない、消したくない」と嘆く。寂しさ悲しさを消したくて、あちこちに足を運んでいたはずなのになあ。なんて勝手なやつだろう。どの景色にも渋谷すばるがいないことに、慣れたくはないのだ。

 休日は家にいるのが当たり前だった私は、そこそこ出歩くようになりました。少しでも見たいと思ったものは、見ておかなければ後悔する、と思い知ったのかもしれません。遠出して綺麗なものを見るのも悪くない。好きなグループのメンバー脱退で、そう思うとは予想してませんでしたけど、そして現場増やす方向じゃねえんかよって感じだけど。

 自担こと安田章大さんが公開した写真に写る、頭の手術跡。「命に別状はない」がいつまでも続くわけじゃない。誰にだって「いつか」はきっとやってくる。死ぬ時に後悔しないなんて無理なので、せめて「たくさんいいもの見たな」って思いたい。その見たいものたちの中には、渋谷すばるさんのことも含まれています。姿を見られたらいいな。歌声を聞けたらいいな。作る音楽に圧倒されたいな。今はそう思うのです。いつかが叶うかどうかはわからないけど、これが「いつか」であるうちの願いは自由だと思うから。いいよね! だめなら言ってよね!!

 

 以上、まとまりのない春夏秋の観光と思考の記録でした。

渋谷すばる

 変わったな~、って思ってました。誰よりもミュージシャン志向でありながら、頻繁に自分がアイドルであること、ジャニーズであることを口にする。ファンが喜ぶキメ顔を見つけたら頻繁にやって会場やテレビの前を沸かす。笑顔が増えて、事務所から怒られるような態度も減って。

 あれは彼のアイドルとしての「余生」だったのだ、きっと。ロスタイム・オブ・ジャニーズ。

 音楽やりたいって言ってた人のために、楽器なんてやったことなかったメンバーまで演奏を覚えて、ギターが変な音出したり打楽器ぜんぜん聞こえなかったり鍵盤の和音がグチャってなったり、そんなのも越えてみんなで音楽やろうぜって頑張ってフェスにも呼んでもらえて、この人たちを見てるのが本当に楽しいなワクワクするなって思ってたところで、発端になった人を音楽そのものにNTRれるとかあると思う?

 いや、正直ちょっと思ったことはあった。ずっと前に彼がバンドを組んだとき、バンドという存在にどんどんのめり込んで、いつかいなくなってしまうイメージが浮かんでいた。そのことで彼のファンと喧嘩になったりもした。あのとき私が疑ったりなんてしなければこんなことには、とありもしない因果を考えてしまう。

 じたばたしたって何も変わらない。わかっている。私は元KAT-TUN担なので。でもどうしてもじたばたしてしまうんだよな。だからこそ、余所様に何かあったときにせめて私たちだけでも無神経なことを言わずに行こうな、と思う。全く関係ない人や嫌いな人のファン相手だって、せめて塗り込むのは塩じゃなくて傷薬の方がいいじゃないか。例え私たちが人から優しくしてもらえなくたって。

 応援はする、理解もする、だけど諦めろって言われたら無理。そういう気持ちをズルズル引きずりながら、8人時代も7人時代も抱えていくしかないのだ。地球は回るし仕事は行かなきゃいけないし、旅行に行けば景色は綺麗だけど関ジャニ∞には彼がいないんですよ。そんな切ないことあるかい。それでも、生きねば、生きねば。

 歌が上手くて、Tバックと下ネタが好きで、口下手で誤解されまくって、カメラ回ってるとこで思いっきり屁をこいて、いかついビジュアルの時もクシャクシャな笑顔になれば愛嬌があって、仲間という歌詞にめちゃくちゃ力を込めて歌って、大好きだけど別れるとか言ってメンバーを悲しませて、それなのに背中を押させてしまう、自分勝手で、最高で、それが私の知る彼の全て。

 

 赤西仁はジャニーズ時代のことを「前世」と呼ぶ。NEWSは「一度死んでまた生き返る そんな魔法をかけられていた」と歌った。

 新しい道を進む彼の来世は、ジャニーズとしての自分を一度死なせて生き返る、星と同じ輝きを持つ、彼の名前は。