気持ちの整理

 今日ふと、私がすばるや亮ちゃんに抱いているものは「好き嫌い」の類ではなく「愛着」なのかな、という考えが浮かんできました。何年も親しんだもの、好きなものの一部であったもの。好きでいるor嫌いになった、みたいな部分を超えた強い愛着。

 ずっとそこにあって、変わらないと思っていた。故郷の好きな道、錆びて蔦の巻き付いた標識、知らない人の藁葺の家。何年かぶりに通ったら舗装されて新築の家に変わっていた。変わってしまったものを見る私の中に「変わらないでいてほしかった」という思いがどうしても存在する。便利さとか、何かをやりたい誰かとか、それをちゃんとわかっていても消えはしない。消してはやらない。せめて私だけは、私の中にある「寂しい」をちゃんと認めてやりたい。

 私が一番長く見つめ続けたのは「七人」の姿と歌と楽器と話し声だった。見慣れすぎて網膜にも鼓膜にも貼りついている。それを剥がすのはめちゃめちゃ痛い。剥がしたくないなあ。剥がさなくてもいいか。

 すばるが、亮ちゃんが、他の人と音楽をやっている姿を、その音楽を、私はまだきちんと受け止められない。嫉妬だ。一緒に音楽をやってる人が羨ましい。たぶん本人より、隣に後ろにいる人を見るのがつらい。ほんの何年か前までそこにいたのは、という気持ちを持たずに見ることができない。だから今は何も見ないでおこう。現場のレポを読んで「かわいい」「おもしろい」だけをインスタントに味わおう。誠実じゃないけど、今はこれがせいいっぱい。

 言ってしまえば、別に二人の音楽に触れる義務なんかない。「そうしなければいけない」とも思ってない。ただ「あ、聞けそう」って思ったとき、それを実行できるようにはしておきたい。見慣れた、親しんだ、離れがたい。そんな形容から少しだけ別のものを見つけられたとき、誰かと音楽をやる二人の声を聞けたら。

 

 そういう日が来るかどうかは、まだよくわからないけども。